ジャマイカ生活最終章へ突入①

久しぶりにつらつらと書いてみることにします。題して、「ジャマイカ生活最終章へ突入!」
さて、振り返るとジャマイカ生活10年と半年。なんと長い、そしてスピード感のある道のりだったことでしょう。
この10年はホントに「走り続けてきた」という表現がぴったりくるような、常に何かを追いかけている生活でした。地道ながらも少しづつ少しづつジャマイカ西田ジム成長してきました。今や日曜日どこにいっても「体操の人ね?」って声かけられるし、必ず生徒に会うし、TV出演も数えられないくらいしたし、ジャマイカ体操協会の副会長なんてしてるし、まあー突っ走ってきて結構なところへきました。
いまやすっかりムキムキになってしまったの男子チーム(左からジャミン、ニコラス、シャコーイ、ダニエル)ですが。
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7-8年前はこんな感じだったんです。
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ジョバーニ&ダニエル
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モンキーマンのあだ名で親しまれていた、世界のどMシャコーイ。
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おばかさんジャミン。
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細いなーニコラス。
ジャマイカに来てゲットーの現状に衝撃を受けて、お金もそんなにないのに勢いと正義感だけで途上国には似つかない体操教室なんて開いちゃって、まあ今考えたらかなりの無茶ぶりですよねーホントに。
この10年の間ほんとーいろいろありました。体操仲間はいっぱい来たし、日本から体操器具が送られてきたし、2年ジムに住んだし、伊勢海老獲りにはまったし(現在進行形)、アメリカ遠征男子4連覇したし、女子の遠征で惨敗したし、ピット2回掘ったし、結婚したし子供ができたし、西田ジム第二号、モベイ分校、マンデビル分校と腕を広げてみたし、まあーーー色濃い10年でした。こんな生活(節約生活)に付き合ってくれてる嫁のSっちゃんにはひそかに大感謝です。
バリバリ働くことが100%自分に帰ってきて、さらに一国の体操競技の発展にそのままつながって、さらに下手したら世界選手権とかオリンピックにコーチとして行けてしまうなんて、なんて幸せな生活なんだろうと思うんですが、協力隊が終わってからもジャマイカに残ると決めたときに、オリンピックへの挑戦は2016年が最初で最後にすると決めてまして。夢はあるけど金はない、幸せいっぱいのジャマイカ生活もいよいよ残り少なくなってきました。まあ2018年くらいが選手的にもジム的にもなんとかまとまりそうかなーということで、2018年の夏に日本に帰る予定にしています。そう、自分の中ではいよいよジャマイカ生活最終章って感じなんです。
ジャマイカでの生活を終えて日本に帰るという感覚、大学の頃の「競技からの引退、現役引退」に近い感覚があります。まだやれるけど、ずるずるやらない。次のステージ、次の世界が待ってるんです。人生、引き際も肝心です。
そして最終章に突入する今年、2015年はいよいよ男子選手が世界選手権に出場する年、10年越しの夢への挑戦がいよいよ始まる年。
なんですが、ここでちょっと思いもよらなかった展開へ。
去年、アメリカとイギリスで体操をやっているジャマイカ国籍の選手から、正式にジャマイカ代表で大会に出たいという申し出がありまして。なんとイギリスの選手は普通にイギリス代表になっちゃってるくらいうまい選手で、個人総合87~88点くらいだしちゃう選手なんですねー。MaxWhitlockと同じチームで練習してんですって!アメリカの選手はどれくらいできるのかあまりデータがないですが、それなりにできる模様。
世界選手権に出場できるのは各国3人まで。そうなんです。ここにきてJamaica産体操選手、やや出場が危機的な状況になったんです。あれ?
はい。次回へ続く。

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